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更新日:2020年1月15日

ふるさとの火(四)灰のゆくえ2

古い時代から、いろり、かまどから出た灰は、農業だけでなく生活の隅々まで利用していました。近代まで農・山村の人々は木灰を小屋に溜め「灰屋」に売りました。灰は財産で、江戸辺りでは灰買の「灰市」が立ち、昭和時代まで商品として流通しています。

絹、木綿、麻糸への染色に使われました。紫染めは椿の木灰、藍染は楢の木灰、紅花染めは稲藁の灰と、染料ごとに使い分けました。

古人は樹木に命を認め、神の依代と感じ、崇拝し、その観察は鋭く「杉と楠は舟とし、桧は宮殿に、槙は棺に」と記録し、樹木の最良の使途を熟知しています。さらに深く、樹木ごとの「灰」の効用を知るなど、知識の深さに驚きます。とちの実

縄文時代(約4、5千年前)の住居跡から煮炊きと灰溜めの二つの炉が発掘されます。人々が食糧とした、ナラ、カシ、トチ、クヌギ等の実のあく抜き用の灰を得るためです。今でも、ゼンマイ、ワラビ、タケノコ、フキなど山菜のあく抜きに使い、その知恵は継承されています。

昔、涌谷辺りでは"どぶろく"に稲藁の灰を水に入れ、上澄みを注ぎました。酸化し、すっぱくなり、腐るのを防ぐためです。安全で確実な中和、防腐剤として大いに役立ちました。みそ・しょうゆ等の製造にも利用されていました。灰は目に見えずとも役割を果たしていたのです。

(文化財保護委員:伊藤源治)

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