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更新日:2017年8月2日

戊辰戦没諸士招魂碑

戊辰戦没諸士招魂碑今年は「戊辰戦争戦没者百五十年忌」の年である。

城山公園最奥右手に「戊辰戦没諸士招魂碑」が立っている。この石碑には建立された「年月日」がない。私がそれを知ったのは「千石五郎日誌」の記事によってである。明治二十七年五月一日(旧暦三月二十六日)「戊辰戦死者二十六名(実際は二十八名)ノ紀念碑ヲ旧館山ニ建築シタリ」とある。西南戦争や日清戦争、日露戦争の戦没者慰霊碑はそれぞれ、その直後に建立されているのに、戊辰戦争の慰霊碑だけは二十七年後になったのはなぜか。それは仙台藩が薩長など政府軍に抵抗した賊軍だったからである。

当初、戦死者の墓標・墓碑すら立てることを憚かられたのである。明治五年太政官の通達により、ようやく墓標を立てることが許され、明治七年祭祀執行が「御構無し」になり、招魂祭・大施餓鬼(だいせがき)が行なわれるようになった。

涌谷では、明治十三年旧暦七月三十日に龍渕寺において十三回忌の大施餓鬼法要が執り行われたという。同年は仙台のほか、登米、松山など各所で施餓鬼、吊魂祭(ちょうこんさい)が行なわれ、登米では建碑もなされている。そして、明治二十二年大日本帝国憲法の発布を期に大赦令が出され、旧藩士の家名再興が許された。二十余年にしてようやく「戊辰の役の賊名」から解き放たれ、晴れて二十七回忌の供養ができたのである。

(文化財保護委員:櫻井伸孝)

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