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更新日:2018年8月10日

「慶念坊」のこと

幕末から明治初年にかけて小塚村黒岡に住み、赤子を貰い育てた乞食坊主がいた。名は「慶念坊」(きょうねんぼう)といい、当地方を中心に栗原・志田・加美・桃生など諸郡をめぐり、「阿弥陀仏の救い」を説いて廻っていた。やがて赤子の間引きの話を聞き、その救済をはじめた。生命の尊さを説いて歩く身として、生れ出ずる赤子の命がむざと断たれるのを見逃がすわけにはいかなかった。慶念坊は男手一つで赤子の養育をはじめた。乳をもらい歩き、時には赤子を背に負い、胸に抱いて乳托鉢をつづけた。育てた赤子は五十三人にもなったということである。

慶念坊は高橋長兵衛といい、南部藩和賀郡(現岩手県北上市)出身である。二十歳台半ば念仏修行を思い立ち、家を出た。京都へ上ったのち、帰国の途中、当地に留まり、念仏の説法をしてまわった。慶念坊の説教に耳を傾けるひとが出てきて、やがて慶念坊への熱烈な援助者もあらわれた。慶念坊

しかし、慶念坊の評判が高まるにつれて、それを妬み、慶念坊の弟子を騙る者などが出てきた。明治四年(一八七一)六月、登米県庁に捕えられ、涌谷村小人丁の牢屋に入れられた。連日の謂れなき拷問に、断食をもって無言の抵抗をした。衰弱した慶念坊は弟子真教の兄追戸沢の阿部文右衛門に引き取られたが、解放されて三日後の明治四年七月五日に亡くなった。五十二歳であった。遺骨は慶念坊が住んでいた黒岡阿弥陀堂の境内に納められた。

なお、慶念坊の顕彰碑が慶念坊の墓を望む天平の湯駐車場の一隅に建てられている。

(涌谷町文化財保護委員長:櫻井伸孝)

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