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更新日:2020年6月30日

日清戦争忠魂碑

日清戦争忠魂碑1城山公園の奥まった高台に涌谷神社があります。その階段の上り口右手の木々の繁みの中に建っている碑をご存じでしょうか。日清・日露両戦争の大きな「忠魂碑」がそれぞれ西向きに建っています。日清戦争忠魂碑2

この「忠魂碑」は明治日本が経験した二つの大きな戦の死者を天皇とその国家に魂を捧げた人として慰霊するために建てられました。ちなみに戦後、太平洋戦争の死者や不慮の事故や災害で亡くなった人の慰霊のために建てられた碑を現在は「慰霊碑」と呼び、「忠魂碑」と区別しています。

日清戦争の碑は表の上部に「忠魂碑」の文字が横書きに、その下に総漢字表記の碑文が縦書きに書かれています。碑の裏には遠田郡内の戦没者の氏名がすべて刻まれています。そのうち涌谷、箟岳地区の戦没者は九名で、出身集落や戦死(戦病死)の場所やその年月日まで記されています。表の篆書体の文字は陸軍中将西寛二郎、撰文(文章を書くこと)は陸軍軍医木村達とあります。碑文の最後には「平塚徳夫謹書」とあり、碑文の文字を書いた書家であることがわかります。平塚徳夫氏は号は柳蹊、当時の能筆家で、今も使われている地方紙「河北新報」の題字を書いた人として知られています。町内柳丁の出身で、平塚家は涌谷伊達氏の祐筆(今でいう文官)をつとめた家系です。

この碑の周辺には他に「戊辰戦争」「西南戦争」の戦没者の碑、昭和五十一年に建てられた「太平洋戦争戦死者慰霊碑」もあり、戦争を通して近代日本の黎明期の大まかな歩みを知ることができます。

(涌谷町文化財保護員:都築裕孝)

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