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更新日:2019年5月9日

県指定文化財「箟峯寺観音堂」

箟岳丘陵東端の頂(標高二三六m)に建つ天台宗無夷山「箟峯寺」。その中心堂宇である「観音堂」が平成三十一年二月十五日、宮城県指定有形文化財(建造物)として指定されました。

観音堂の歴史を紐解くと、平安時代に建立されて以降、幾度も建て替えや改修が繰り替えされながら維持されてきた様子が記録されています。

しかし江戸時代末期の一八四二(天保十三)年、箟峯寺西方の花立地区で起きた大火の延焼により、かろうじて本尊・十一面観音は救い出されたものの、堂宇が全焼。境内の大欅や古杉を用材として切り出し、一八五一(嘉永四)年八月に再建、明治時代に内陣の宮殿(本尊を安置する厨子)や欄間などを造作・完成したのが、現在の観音堂です。箟峯寺観音堂1

観音堂の規模は一辺一四.九m(柱間は五間×六間)の平面正方形で、屋根は宝形造銅板葺。正面には気仙大工が仕上げたと伝わる彫刻が施された三間の向拝がつきます。

また観音堂の建つ場所は「往古に坂上田村麻呂が戦死者を供養した塚である」との言い伝えがあり、塚状に盛り上がる地形を損なう事のないよう、床下の束高に長短をつけ建てています。

堂内部は手前を外陣、奥を内陣と大きく分割し、俗世と清浄領域と区分すると共に、さらに内陣の左右奥を廻縁状に区切り、宮殿を設けて本尊十一面観音立像を秘蔵、聖域を護持します。昭和四十年代頃まで、内陣では衆徒(僧侶)修行の場として参籠が実施されていました。

このように観音堂は、丘陵頂部に建てられた密教寺院建築の特色をもつ好例であり、かつ仙台市の陸奥国分寺薬師堂(一六〇七・慶長十二年、一辺一四.九m)と並ぶ宮城県下最大級の規模を有することなどが評価され、県指定文化財として認められたのです。

(生涯学習課:福山宗志)

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