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更新日:2020年6月30日

城山公園の桜の木

桜のつぼみはまだ固いでしょう。染井吉野

城山公園の桜は一八九七年(明治三〇)に松坂半治が、松・梅と共に植えたのが始まりで、樹種は不明です。桜は約三百種、この公園の多くは染井吉野で、この樹種が全国で最も多く植えられ、気象庁の開花予想・宣言の基準の花です。この種は、大島桜と江戸彼岸の雑種で、江戸時代末に染井村(東京都豊島区)の植木商が売り出し、人気を博しました。

明治・大正時代に入ると、戦争の度に戦意高揚の花、戦死者慰霊の花として盛んに植えられ、昭和の敗戦後は軍国主義象徴の花として不幸な歴史も負わされました。枝垂桜

日本の歴史で桜は山桜のことで、日本列島に自生し、日本人との付き合いは古く、縄文時代の福井県鳥浜貝塚では、石の斧の柄に巻き付けられた桜の皮が発見され、奈良時代の「万葉集」にも四十首程詠まれています。

農村では農事暦の花で「種播桜」と呼び、開花は農作業の重要な目安でした。春に「田の神」が山から降りて来て、花を咲かせますが、桜下で飲食を共にし、五穀豊穣を予め祝うのが花見です。いつしか本来の意味を忘れ、酒宴の場になりました。

桜回廊桜の寿命は短く、染井吉野は七、八〇年の命です。昭和の高度経済成長期には公園の桜が枯れ、河川改修で伐採され、寂しい時代がありました。涌谷町は、一九九六年(平成八)に「桜の回廊」を計画し、県道涌谷・田尻線両側に、染井吉野、枝垂桜など約二二〇本を植え、桜のトンネルは復活しています。

桜は日本だけでなく、中国奥地、ヒマラヤ、西洋にも自生し咲きますが、サクランボの木とされ、桜下の酒宴の風習はないようです。

(写真:右上ー染井吉野・中央ー枝垂桜・右下ー桜回廊)

(涌谷町文化財保護委員:伊藤源治)

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