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更新日:2020年6月30日

国史跡長根貝塚

貝塚とは、長い年月の間に昔の人々が食べた貝の殻が堆積してできた遺跡です。貝塚には、魚や動物の骨など食料の残りかす、壊れた土器や石器なども捨てられました。

長根地区にある長根貝塚は昭和43年に発掘調査された結果、東西300m、南北250mの範囲で「U」字の形に貝層が広がる、県内最大級の縄文時代の貝塚であることが判りました。

貝層は縄文時代早期末から晩期(約6000~2300年前)までの長期間にわたります。

貝層の貝の種類を見てみると、早期末頃の貝層はカキやハマグリなどの塩分が濃い水(鹹水・海水)で育つ貝が主体となることから、現在の小丘陵周辺の低地部は、海であったと考えられます。naganekaiduka

しかし、前期末から中期末頃の貝層はヤマトシジミなどの海水と淡水が混ざり合う汽水産の貝が主体となることから、海は徐々に退いていったと思われます。

そして、後期や晩期頃の貝層はタニシなどの淡水産の貝が主体となることから、伊豆沼や蕪栗沼のような淡水の湖や沼が数多くつくられていったのです。

これらのことから長根貝塚は、長い「ムラ」の営みの中で当地域の生活や環境の変化を証明する重要な遺跡であったことが判りました。

この他、「U」字形に貝層が分布する内側で中期の竪穴住居跡2棟が完全な形で見つかりました。完全な形での発見は県内において初めてで、「イエ」の復元が可能となりました。

このように、長根貝塚は縄文時代の生活や環境を考える上で貴重であり、考古学研究史上、重要な遺跡のため、国史跡の指定を受けました。

(生涯学習課:二瓶雅司)

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