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更新日:2020年11月4日

「江戸時代の街道」

江戸時代、涌谷町の東地区は涌谷村、西地区は馬場谷地村と呼ばれていました。

涌谷の御城下から外部に通ずる道路は八道ありました。

涌谷村からの四道
1)上丁からの高清水道
2)下丁からの和渕街道
3)小金迫から米岡経由の佐沼街道
4)箟岳道(江戸時代、箟岳は涌谷領ではなく仙台藩の直轄領でした。)

馬場谷地村からの四道
5)新町西端の枡形(ますがた・防御施設)から高城町経由の仙台街道
6)桜丁の新丁頭より小牛田経由の古川街道
7)光明院近くの田丁から大柳・二郷経由の小野道
8)長柄丁の出張(ではり・防御施設)からの石巻街道涌谷の街道

江戸時代は、侍屋敷がある丁、商売できるのが町場で本町、新町、河原町の三町だけでした。町場の端には枡形、出張などの防御施設や直角に曲がった道路や防犯のための木戸が設けられていました。殿様が仙台へ向かう道程も決まっていました。

涌谷のお城より駕籠にて出発し本町を通り、新町の枡形より和多田沼(美里町南郷)を通り福ヶ袋(美里町南郷)の渡しに着きます。福ヶ袋の渡しから鳴瀬川対岸の船越(大崎市鹿島台)の渡しまで船を利用します。船越より杉ヶ崎(鹿島台)まで山道を行きます。杉ヶ崎から南に行くと小川(松島町)の渡しがあり、渡り終えると松島街道の山道を十文字経由にて宿駅である高城に到着します。ここで宿泊し利府経由にて仙台へと向かいました。

写真は幕末頃の涌谷の町割り

(文化財保護委員:坂本紀男)

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