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更新日:2020年6月2日

仙台藩を救った忠義の士ー伊達安芸宗重公

令和二年(二〇二〇)は、伊達騒動(寛文事件)で非業の死を遂げた涌谷伊達家第四代邑主伊達安芸宗重公の三百五十年遠忌に当たります。

「伊達騒動」は仙台藩のお家騒動で昭和四十五年(一九七〇年)に山本周五郎の小説「樅ノ木は残った」がNHKの大河ドラマで放映されて全国的に知られました。しかしドラマの内容は小説であり史実ではありません。

史実は、仙台藩第三代藩主伊達綱宗の不行跡がもとで幕府より逼塞を命じられ、当時二歳であった亀千代が四代藩主となり、伊達兵部と田村右京の二人が後見役を命じられます。しかし後見役の一人伊達兵部が藩政を牛耳り、藩内を動揺に陥れ入れました。宗重公の胸像

寛文七年(一六六七)、涌谷と登米の間で二郷谷地を巡る谷地争いとなり訴訟へと発展していきます。宗重公は仙台藩に訴えますが埒が明かず、兵部は幕府に相談しました。その機会を見逃さず、宗重公は今まで集めた兵部側の不正の数々を幕府に訴え出ました。兵部の手先だった原田甲斐を含む悪党一派に立ち向かったのが伊達安芸宗重公です。詮議の途中で原田甲斐が斬りかかり宗重公は凶刃に斃(たお)れます。しかし宗重公の身命を賭けた訴えは幕府に通じて仙台藩は安泰でした。

明治七年(一八七四)、涌谷神社が建立され、宗重公は「赤心猛雄命(まごころたけおのみこと)」として祀られました。昭和七年(一九三二)、著名な彫刻家・藤田文蔵氏が製作した「宗重公の胸像」が涌谷神社に奉納されました。

伊達安芸宗重公は、涌谷神社の境内で今も静かに郷土の発展を見守り続けています。

(文化財保護委員:坂本紀男)

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