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更新日:2020年9月2日

涌谷の歴史を発掘した人達

時の流れに忘れられた郷土の歴史、本稿では黄金山産金遺跡の歴史を掘り起こした先学に光を当てます。古来、万葉集北限の地である黄金山は、仙台の学者佐久間洞巌や芭蕉の「奥の細道」紀行文などから金華山と思われてました。

文化七年、伊勢の国学者沖安海が「陸奥国小田郡黄金山神社考」を著し、小田郡は遠田郡内であり黄金山が天平産金地と推考しました。明治になって、大槻文彦博士は著書「複軒雑纂」所収『陸奥国遠田郡小田郡沿革考』にて「世に牡鹿郡の金華山を天平勝寶の出金の地なりと云うは論ずるにも足らず・・・」と従来の金華山説を否定されました。

佐々木敏雄先生は昭和二十九年、仙台にて山田孝雄博士の調査研究を東北大学扇畑忠雄助教授より聞いておられ、地元黄金迫の産金を論考した著書「天平産金地に関する一考察」等々を発表しています。

玉川大学内藤政恒教授も、その著書「天平産金地私考」で黄金山出土の古瓦(写真)は屋根を飾った瓦製宝珠とし、建物は円堂と断じています。瓦製寶珠

秋田大学渡辺万次郎博士や仙台鉱山監督局の小野田匡高技師は、涌谷の砂金は地層から生じた河流砂金で、含有量は0.7g/トン、東北大学八木健三教授も純度の高い良質の砂金と既に分析していました。

昭和三十二年、涌谷町は東北大学伊東信雄教授に式内社黄金山神社境内の発掘調査を依頼、伊東教授は佐々木茂楨氏等考古学教室学生を率いて、更に涌高生徒も参加して学術調査が実施され、日本初の産金地としてその歴史的価値が学問的に立証されたのです。

昭和四十二年、黄金山産金遺跡は国の史跡に指定されました。先年文化庁から日本遺産にも認定され、遺跡の保護保存を基本に、観光資源としてその活用が期待されます。

写真は「瓦製宝珠」

(文化財保護委員:本郷和郎)

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