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更新日:2020年6月2日

「千石五郎日誌」より(一)

明治時代、遠田郡役所書記をつとめた千石五郎氏が明治二十三年一月一日から同四十二年五月までほぼ毎日記した「日誌」があります。その中から二、三私の興味にまかせて記してみます。

「伊達騒動」をそれまでの勧善懲悪の歴史観を払拭して、証拠にもとづく実証的歴史叙述とした大著『伊達騒動実録』(明治四十二年刊)を執筆された大槻文彦博士の調査旅行が記載されていました。

博士は、明治三十二年八月三日夜石巻より涌谷に着き、同十三日小牛田駅より帰京されましたが、その間の動向が記されています。大槻博士は、城山の美哉亭に滞在し、資料調査の窓口は千石氏が担当しました。千石氏は旧当主亘理胤正氏や元涌谷村村長涌沢授氏などと相談、打合せを行ない、寛文事件に関する資料、文書所有者を紹介、案内し、資料の借用を仲介、周旋しています。伊達騒動実録

八月四日「終日美哉亭ニ在リテ諸般周旋セリ」、同五日は午後、涌谷青年会の依頼により涌谷小学校男子部で歴史上の演説をおこない、終って見龍寺に参詣、同寺の宝物を拝観しました。そののち、有志の招待により町内の料亭に向かい、「会者四十余名、午後八時散会」とあります。六日は「不動堂村奨徳会ノ招キニ応シ、午後一時同地ニ向」かい、後藤家、道家麁寿郎氏、松山町の和賀新太郎氏から原田甲斐書状などを借り出しています。七日、千石氏は午後美哉亭に行きます。八日、博士が「箟嶽山及黄金山ヘ参詣ニ付金尾慎太郎、花井正ノ両人ヲ随行」させたとあります。この日、千石氏は役所より帰宅途中と夕食後と二回大槻博士を見舞っています。十三日、大槻博士が帰京するに際して「小牛田停車場迄見送リシモノ須藤友松、森亮三郎ト余ト三人ナリ」などと記します。

(写真:伊達騒動実録)

(文化財保護委員長:櫻井伸孝)

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