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更新日:2021年2月22日

杵と臼

今年の正月の餅はどこで用意しましたか。この頃、民家の庭先で、家族が総出で餅を搗く風景も見られなくなりました。餅搗きの主役「臼」と「杵」の歴史と民俗を振り返ります。

日本の臼と杵は、今から約二千年前の弥生時代から使用されました。餅を搗くだけでなく、米、麦、粟、稗、蕎麦など穀物の脱穀、精白、製粉に、さらに、栗、樫など木の実の脱皮・脱渋・粉砕にも使われました。日々の糧である穀物の加工に重要な役割を果たし、臼と杵は家を象徴するもので、冠婚葬祭にも役目がありました。

葬儀では出棺のときに空臼を搗きます。故人の、この世の家からの永遠の別れを意味し、日常で空臼を搗くことは縁起が悪く、禁忌でした。

結婚式では餅を搗きます。嫁ぎ先の家の土間に臼を二つ並べ、花嫁が家に入るのを邪魔しました。重い臼を退け、困難を乗り越えて婚家に入るとの意味か、結婚を象徴する儀式でした。

何れも、家族の構成員の変化に、その重い役目を果たしました。杵と臼

従って、臼・杵を粗末に扱うことはなく、お正月には注連縄を付け、餅、酒と桶に入れた若水を供えました。大きな役目は「臼伏せ」で作試しをしたことです。土間に藁を敷き、枡を乗せて白米を入れ、その上に丸餅を置き、臼を被せます。翌朝、餅に米に付いた米粒で稲作の豊・凶作の作試しをしました。家によっては餅を三つ置き、早生・中生・晩生の作柄を占いました。日々、大切に取り扱い、雨に曝たり、上に物を置く事はせず、伏せて置きました。古くて使用に耐えなくとも、野に捨たり、燃すことはなく、等分に割り、家中のかまどで燃すか、一族で分けました。神の宿る、聖なる道具と意識されました。

臼と杵は神の木とされる「欅」で、杵の柄は「朴の木」で造られました。昭和時代まで、涌谷町内にも臼屋さんが開業し、職人が各家庭の注文に応じ、臼一つごとに手彫りしていました。

(文化財保護委員:伊藤源治)

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