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更新日:2016年5月12日
涌谷町花勝山、国道108号線とJR石巻線が並行する花勝山墓地入口、老杉の下に「萬霊塔」があります。
萬霊塔は、天保7~8年(1836~7年)飢饉の十七回忌に餓死者供養碑として嘉永5年(1852年)に建てられたものです。
碑の中央に「萬霊塔」と刻まれ、左右には「天保七・八年の飢饉で冥途に行った餓死者の冥福と成仏を祈願して領内の人々が助け合ってこれを建てる」という意味の供養文が刻まれています。
江戸時代の約270年間、東北地方は天候不順で冷害に何度も襲われ、多くの人々が餓死しました。
宝暦5年(1755年)、天明3年(1783年)も飢饉でした。
この時代は6月に氷柱が下がり、九月には霜が降り、夏には北太平洋から冷風「やませ」が田畑に吹き付ける「夏の来なかった時代」でした。
「やませ」は遠田郡より海に近い旧本吉郡、牡鹿郡、旧桃生郡にきびしく、飢えに苦しむ人々は食糧を求めて石巻街道(ほぼ国道108号沿)を内陸部に向い、花勝山、砂田周辺で行き倒れたと伝わります。
「萬霊塔」には、涌谷地方の餓死者も共に埋葬されました。
飢饉の時には涌谷地方の人々も大変苦しみました。
花勝山の地名は「飢渇」(空腹とのどのかわき)に由来すると云う人もあり、「飢饉」は人々に語り継がれています。
いまも「萬霊塔」は、お盆とお彼岸に、人知れず掃き清められ、水と花や香が手向けられています。
餓死者へのささやかな供養が続いています。
(伊藤源治)
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