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更新日:2020年9月28日

涌谷高等学校前史ーその2ー

涌谷高校の前身・遠田郡立涌谷実科高等女学校は県北女子教育の最高学府であり、大正十年、県立に移管「宮城県涌谷高等女学校」となりました。この頃は定員二百人、修業年限四ヶ年でした。

昭和十年の涌谷高等女学校『父兄生徒一覧』には生徒の住所・氏名・通学範囲と種別・宿所、父兄の氏名・職業が示されていて、今ご健在の生徒の方のお名前も見えます。

生徒は涌谷町・元涌谷村・箟岳村から百三三人と最も多く、遠田郡各町村、桃生郡前谷地村、志田、栗原、登米、黒川各郡、松島町、石巻市及び福島県からの、合計四百人の在籍でした。また家政科も併設されており、涌谷町・元涌谷村、小牛田町域、桃生郡から二二人が在籍していたことが記されてます。

父兄の職業を見ると農業が百六一人・商工業九七人・鉄道交通三五人・医師十四人・教員等官公吏八四人・僧侶神職七人・銀行員・旅館業など中流以上の比較的富裕で知識階層の家庭が多いようです。

宿所は自宅三百七十人・寄宿舎七人・下宿二三人、通学は徒歩百七二人・汽車百九二人・乗合自動車二九人、自転車も七人いますが当時はハイカラさんだったでしょうね。へちま襟

セーラー服が制服になったのはこの四年後からでした。

『涌高の六十年』誌序文に「本高が母校として存在するには、建学の精神により築かれた全人教育の伝統を守りその灯を燃やし続けること」とあります。涌谷町が誇る涌谷高校の伝統進展のため、町当局・町民そして同窓生の積極的支援・提言も望まれます。

【写真:へちま襟の制服(昭和7年3月)『涌高の六十年』誌より】

(文化財保護委員:本郷和郎)

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