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更新日:2020年9月2日

「千石五郎日誌」より(ニ)

千石五郎氏の日常生活には少しずつ西洋風のものが浸透してきました。

明治二三年(一八九〇)六月、本町の久惣商店で洋傘一本(九五銭)を購入しています。当時は当然唐傘、番傘に草履、下駄、足駄の時代でしたが、千石氏はいわゆるコーモリ傘を被っていたのです。明治四一年には仙台の「バーゲンデー」でも一円七〇銭の傘を買っています。

当時、和服が当たり前で、洋服を着る人は、役人や学校の教員、制服を着用した警察官か軍人ぐらいでした。千石氏も明治二三年十月、新町の洋服店(菅野友三郎)で一着新調しました(八円五〇銭)。翌年七月には夏服を新調(八円四〇銭)、明治三〇年代には本町の仕立師早坂亀蔵方で、儀式用と思われる「冬衣モーニングコート」(二三円)、「フロークコート」(一九円五〇銭)、「外套の裏返し」などの注文をしています。併せて古川や仙台からの靴屋の勧誘に応じて「半靴」、「長靴」、「ゴム靴」を買い、久惣商店で「靴足袋」を買った記事もあります。周囲が和服の時代に、業務用、または仕事着とはいえ、朝夕の出退勤時に町なかではさぞや目立ったことでしょう。

また、贈答用だったようですが、「珈琲」(コーヒー)、「麦酒」(ビール)、「葡萄酒」(ワイン)、「ハンケチ―フ」、「ビスケット」、「サイダー」などが記されています。しかし、千石氏は普段の生活では日本酒や「濁醪」(どぶろく)を飲み、屋敷内にお茶の木を植えて、自家製のお茶を喫(の)んでいます。夜は「洋燈」(石油ランプ)を灯(とも)して、家族の団らんや来客を接待するという暮らしぶりでした。

(文化財保護委員長:櫻井伸孝)

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