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更新日:2020年12月2日

歴史資料としての墓碑・銘文

すでに手遅れかも知れないが、近年、墓石を整理・統合して、いわゆる「代々碑」の墓石に建て替える家が急増している。とくに先祖代々連綿と家系を継いで来た家ではとくに墓地が手狭になって古い先祖の墓石を整理する家が増えている。

しかし、すべて一様ではないが、墓石には様々な情報が込められている。法名・俗名・没年・行年のほか、人によっては生前の活動を記した銘文を刻んだ墓石も多々ある。そして、また、私が目にしている限りでは石製墓碑建立の風習は、十七世紀半ば以降のようであることなども判る。

墓碑・銘文例えば、見龍寺裏にある「伊藤屋」の墓地は天和二年(一六八二)以降の墓石が十数基並び、そのなかに、文政二年(一八一九)夫婦で京都見物した帰り道、夫の伊藤屋喜惣兵衛が信州高遠で急死した。同行の妻は高遠城下満光寺に夫を葬い、「塚中塊」を持ち帰り、改めて墓を建てて葬ったとある。また、私は、本来ならば私の曽祖父になるはずだった先祖が戊辰戦争の「白河合戦討死」とあり、戦死したため、その妹が婿を迎え、そして私の曽祖父母となり、子孫のひとりに私があるということが判明するのである。

町内各所にある墓地にはメッセージの多少はあるものの、それぞれ貴重な歴史証言を含んだ情報が散在している。各家々の墓石をもう一度見直して墓地の改修は慎重に行うべきであろう。もちろん、このような観点は石材業者にも持ってもらいたいものである。

(文化財保護委員:櫻井伸孝)

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