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更新日:2016年5月12日
関屋の門口に立つ大きなさいかちは樹齢約四百年、枝は四方に伸び、葉はみどり濃く樹勢は盛んです。
さいかちは葉が食用、とげは漢方薬、巨大な実は石鹸になりますが、関屋の主人は「食、薬用の記憶はないが、実を老人がシャンプーにしていた」「昨年まで子供たちが石鹸にするからと実を取りに来た」と話しています。
小里の歴史は古く、縄文時代の「長根貝塚」があり、約七千年前から人々が住んでいました。平安時代の歴史書「日本後紀」承和七年(八四〇)の中に〈意薩公継麻呂〉弘仁三年(八一二)が文字として初めて確認でき、この意薩が小里とされます。
宮城県の北上川流域は、鎌倉時代から源頼朝の家来である初代葛西清重の領地でした。
安土桃山時代の天正十八年(一五九〇)に豊臣秀吉の〈奥州仕置き〉で領地は没収され、十七代晴信のとき、約四百年続いた葛西家の支配は終わりました。
家来たちは葛西家の再興を祈願し「葛西が勝つ」としてさいかちを植えたと伝承されています。
当時、小里が葛西家の領地かは不明ですが、他の数軒にもさいかちが植えられており、関屋、長畑、柳沢、一本木の四本は指定天然記念物です。
今でも石巻市、牡鹿郡、旧桃生郡、旧登米郡の各集落に、祖先は葛西家と伝える旧家が多く、屋敷には大きなさいかちが見られます。
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