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更新日:2016年5月12日

箟岳山の「念佛供養塔」

石碑

箟岳山頂には箟峯寺境内を中心に一円に数多くの板碑、石碑、石像が点在しますが、その中に「念佛供養塔」と明記されたものが2基確認されます。

いずれも江戸時代のものです。

宝永元年(1704年)碑

石仏の石碑群の中の1基で念佛供養塔婆の見出しです。

結衆(結縁衆)による建立で、その趣意や供養の功徳などが述べられ、僧名のほか人名と思しき刻印もありますが、容易に判読できません。梵字は弥陀三尊です。

寛保3年(1774年)碑

箟峯寺境内、地蔵尊坐像の台座に念佛供養塔と刻印され、箟峯寺一山の坊名、僧名もありますが、すべては判読できません。

念仏は阿弥陀如来の願いにすがり、「南無阿弥陀仏」と唱え、あるいは心に念じて来世を極楽浄土に迎えられるようにという信仰で、平安中期の天台宗の僧恵心僧都源信が『往生要集』を著して浄土思想を確立させました。

その後法然、親鸞、一遍を祖とする浄土各宗が誕生して広く一般民衆に信仰されることとなりました。

鎌倉時代以降全国にさまざまな供養碑が建立され今に引き継がれています。

なお、箟岳山中腹石仏の嘉暦4年(1329年)の碑と花立壇の宝徳元年(1449年)の巨碑も共に弥陀三尊碑ですが、趣意はそれぞれ父母往生と三界萬霊のためとしており、やはり念仏供養の証として建立されたものでしょう。

(坊城延溟)

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