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更新日:2017年5月8日

田村麻呂一千年供養塔

箟峯寺の本堂後方に「征夷将軍田村麻呂一千年供養」の板碑が建っています。高さは2m30cm、7尺あります。文字の部分に朱が施されています。年号は右側に「文化七庚午天五月二十三日」と記されています。更に左下部分は「箟峰寺衆徒中謹白」と読むことができます。坂上田村麻呂没後一千年にあたる年に、総衆によって建立されたことがわかります。

ところで、この供養塔の少し前方に石碑が3基あって、大きな梵字(あ字)が彫られているものがあります。裏側を見ますと中央が「雄淳大和尚碑」、右に「文政十三寅年」左に「七月十五日寂」と彫られています。「雄淳」という僧名は歴代の箟峯寺一山寺院住職の中に見つけることはできません。

石巻牧山零羊崎神社の本殿右後方にも「征夷将軍田村麻呂一千年供養」の板碑が建っています。高さは1m80cmです。石碑の年月日は箟峯寺と全く同じで左下は「當山現住雄淳謹白」と読めます。他にも慈覚大師の碑や大きな石造の相輪橖などがあり、元は長禅寺という天台寺院の跡とのことです。

神社の登り口付近に墓所があり、雄淳の墓石があります。五輪塔形式の立派なもので「竪者法印雄淳大和尚位」右に「文政十三年」左に「七月十五日」とあります。ここから箟岳の雄淳碑は、牧山の十二世雄淳と同一人のものと推察されます。

供養塔はどちらも稲井石で形も大きさもよく似ています。一緒に作られてそれぞれ運搬、建立されたと考えられます。

江戸時代、共に伊達藩の祈願寺であり、また奥州三観音に名を連ねる箟峯寺と長禅寺です。両寺の間に緊密な往来があったのではないでしょうか。

(涌谷町文化財保護委員:坊城延溟)

写真は征夷将軍田村麻呂一千年供養碑【写真左】箟峯寺【写真右】零羊崎神社(元長禅寺)

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